ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

犬へと引き継がれたクリスマスの物欲。

サンタクロースの存在を、小学生の頃までは信じていた。プレゼントを持ってきてくれる赤い服を着たおじさんのことだ。十歳の子どもは純粋なのか、阿呆なのか。それとも時代の問題で、今の子どもたちはもっと現実的で、サンタクロースが架空の存在であるということなど、とうに分かっているのかもしれない。

魚のぬいぐるみを散らかすユク坊。

クリスマスは、父親や祖父に玩具を買ってもらえる日であり、見知らぬおじさんからも玩具がもらえる日である。玩具メーカーが仕掛けたものだったりするのだろうか。キリスト教は関係ないし、クリスマスが終われば大晦日とお正月へ向かっていくのみである。宗教的な意義などまったくない。クリスマスは玩具の日だった。

寝室へと駆け上がるユク坊。

今はクリスマスにプレゼントを与え合うというような儀式とは無縁になった。せめて自分に何か買ってやろうかとも考えてみたが、欲しい物がない。物欲にまみれた二十世紀を生き抜いたから、もう物欲というものを解決してしまったのかもしれない。物を捨てるのが大変な社会であることも、それを助長している。

あれもこれも欲しいユク坊。

年末であるから、物を減らす機会でもある。長らく使っていないものなどを捨てるため、玄関に集めてみた。本や衣服や、その他のガラクタ。ユクのために買った犬用の玩具も同様に、玄関に寄せた。買ってきて与えたものの、興味を示さずに遊んでくれなかった物だ。

それ、俺のじゃねえか?

整理していると、ユクがすたすたとやって来た。興味がなかったはずの蛙の足の玩具を咥え、自分のベッドに持ち込んで、噛んだりひっくり返したりして遊び始めた。「これは僕のモノです。結構気に入ってるんです」と言わんばかりだ。自分の物であると理解しているところは賢いと思う。捨てようとしていることを察知しているのも感心させられる。だが、所有欲、物欲というところからは、まったく解放されていない。

クリスマスプレゼントto ユク坊。

そうだ。ユクには妻からクリスマスプレゼントがあった。鳥のぬいぐるみである。最初に妻から指導があった。これはユクの物なのだから、破壊してはダメだよ、と説明されていた。ユクはそれを理解したようで、破壊行為をしていない。大切にしているようだ。ユクがうちに来た頃、最初に買い与えたぬいぐるみは、数分でバラバラになった。大人になったものだ。

ユク坊の持ち物リストに加わった鳥さん。

さらに、これを咥えて放り投げると人間たちが大喜びをしておやつを差し出すので、ユクにとっては、おやつを引き出すための大切なツールでもあるのだ。

理由はともかく、大切にしてくれているようで、よかった。