ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

老害への距離。

人間、齢五十を超えれば――いや、四十くらいからかもしれないが――いわゆる「老害」と呼ばれる存在にならないよう、気をつけたいものだ。
北鎌倉駅の周辺には踏切が多い。先日、遮断機が下りているにもかかわらず、それをくぐって線路を渡ってしまう爺さんを見かけた。皆が気持ちよく暮らすために守られているルールやマナーというものを、率先して守り、子どもたちへの手本となるべき年齢である。関西の言葉で言えば、「ええとしこいたおっさん」だ。

やるな、おっさん。(いやそうではないのだよ)

時折、車内アナウンスで「線路内への立ち入りがあったため」「踏切への立ち入りがあったため」といった表現を耳にする。その結果、電車が遅延する。本当に、こういうことは「ええとしこいたおっさん」のやることではないと思う。

オスワリして待つ!

自分が老害になっていないか、ということは、ここ十年ほど意識して考えるようになった。
自分の価値観は、すでに古いものかもしれない――その前提を常に持つようにしている。自分より若い人たちの行動や感覚は、基本的には正しいのだ、というスタンスでいることにしている。それでも、内心「それはおかしいのでは」と感じることも、もちろんある。だが、その違和感こそが、古い価値観の名残かもしれないと、一度立ち止まって考えるようにしている。

一度立ち止まる。

犬の世界にも「社会性」という言葉がある。
なんとなく、犬のマナーやルールを指す言葉のようだが、犬同士が話し合って決めたはずもないので、少し不思議な感じがする。たとえば、お互いのおしりの匂いを嗅ぎ合うという行為。嗅ぐのはいいが、嗅がれるのは嫌だ、という犬もいる。これはマナー違反なのだろうか。おしりはいいが、顔に近づかれるのは困る、という犬もいる。きちんとおしりを差し出して「どうぞ嗅いでください」とする犬もいる。それはマナーが良い、ということなのだろうか。

大好きなモモちゃんの横ではお利口にできるユク坊。

もともとは、群れごとに受け継がれてきたオキテや距離感があったのかもしれない。それが人間と暮らすようになり、次第に曖昧になってきたのではないか。人間社会のルールや価値観が混ざり込んでいるようにも感じる。すべての犬が、そのオキテを守れるはずもない。

頑固になったわけではないのじゃ!

ユクは六歳になった。老害呼ばわりされないように気をつけなければならない年齢だ。
他の犬との付き合い方にも、少し変化を感じる。頑固になった、という言葉だけでは足りない。好き嫌いが、よりはっきりしてきたのだろう。好きな相手には、とても優しい。おしりを差し出すことも、自然にこなす。人間の価値観で言えば、皆にそうしてくれればいいのに、と思ってしまうが、そうではない。好きな相手にだけ、なのだ。

自由な寝姿のユク坊。

近所の誰かを指して「あいつは老害だ」とブログに書く行為そのものも、もしかすると老害の一形態なのかもしれない。
そう思うと、また少し、言葉を選びたくなる。