大阪出張の折、気に入っているピザ専門店に足を運ぶ。
毎年毎年この店を訪れ、毎年毎年、チーズがたっぷりのったピザを食べる。今年も六種のチーズがのった贅沢なピザを選んだ。ところが――口に入れた瞬間、何かが違う。いや、味そのものは変わっていないのかもしれない。私の舌が鈍ったのか、体調の問題なのか、とにかく期待していた味とは違っていた。

味覚というものは気まぐれだ。飽きることもあるし、妙に鋭くなることもある。だが、毎月通っている店ではなく、年に一度訪れるだけなのだ。久しぶりに食べれば「ああ、やっぱりおいしいなあ」となるはずだった。

そもそも「好物」とは、まだ見ぬ「もっとおいしい何か」が世界のどこかに存在するという期待の上に成り立っている。
たとえばカツ丼。ある店のカツ丼が絶対的ナンバーワンであれば、その店に行き続ければいい。ところが、大抵の場合「もっと上があるかもしれない」という予感が、食べ歩きを続けさせる。未知への期待が食欲を駆動しているのだ。

ピザについても同じである。私はピザが好物だが、「ここが絶対の一番」と言い切れる店をまだ持たない。これまでは、大阪のこの店のチーズピザが暫定一位だった。しかし、その地位が揺らいだのだ。そうなれば、また新たなピザ探しの旅が始まる。それはそれで悪くない。むしろ人生を豊かにしてくれる。

犬の認知症予防のためには、散歩のルートは色々変えたほうが良いらしい。
海に向かう道、山へ上がる道、街を抜ける道。いくつかの定番がある。しかし、一度その方向を選べば、辿るルートはほとんど決まっている。

もちろん、開拓してもいいのだろう。新しい道を見つければ刺激にもなるだろう。
だが、犬も私も、ルーティンを好む。
同じ道を歩き、同じ風景を確かめ、その微細な違いを感じ取るのが好きなのだ。
馴染みの道を歩いたって、昨日とは違う空気が流れている。木の匂いも、光の角度も、人の気配も、ユクのクン活具合も、その日ごとに異なる。

そう考えると、大阪のピザ屋を見限る必要はないのかもしれない。
むしろ、平然とチーズピザを注文し、ほんの少し違う味を楽しむくらいの余裕――いや、観察力と言うべきか――そういうものを持っていたい。

今日も私たちは、同じ山の散歩道を歩いた。
昨日とは違う気持ちで。