ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

ユクと暮らす日々に見つける、感情の輪郭。

人間が腹を立てることの多くが、他人をコントロールできなかったときに生ずる。
自分はルールを守っているのに、他人が守っていない、などが多い。それが法律で定められている場合は社会に罰してもらえる可能性もある。そして、ルールに則ってコントロールできるかも知れない。だが、それが独自ルールだったり、それが良いと思い込んでいるだけであったり、「マナー」と呼ばれるような種類のものであったりすると、収拾できない。今も世界の何処かで起きている戦争もこれだ。お互いに信じ切っている。相手が悪である、と。

好物のブルガリアヨーグルトとユク坊。

一人暮らしを始めたとき、「早く風呂に入りなさい」ということを言われなくなって、自由だな、と感じた。一人で暮らすということの象徴的な出来事だと感じた。いつまでも寝ていられるし、いつまでも起きていられる。他人と関わることなく、自分一人で生きていかれるような気持ちになったのだ。今となっては阿呆だと思うが、他人との関わりなしに人は生きていけない。電気だってガスだって、誰かが働いて供給してくれている。電子レンジで温めて食べられる魚の煮付けだって、人が釣り、人が運んで、人が調理し、人がコンビニに運んでくれて、人が陳列してくれたものだ。

自ら陳列されるユク坊。

犬と暮らすということは、地球に暮らす生き物同士の付き合いでもある。
人間の社会に適合させるようなことを人間側は沢山してきた。犬種を作り出したのもそうだ。従順で小さな種類を作り出してきた。ユクはそのような種類ではない。どちらかというと、人の集落の周りで人々に可愛がられていい伸びてきた犬の遺伝子を受け継いでいると思われる。
簡単に言うと、食べ物に弱い。食べ物をちらつかせれば、色々と言うことを聞くし、人間が喜ぶことをあれこれ行う。撫でられて喜ぶ、という様を飼い主以外の人間にはほとんど見せない。
ユクと接していると、人間の暮らしの進化とともに、寄り添って生きてきた犬たちのことがいつも思われる。

寄り添うユク坊。

ユクは人間のようには腹を立てない。
ユクが怒るときは、必要以上に距離を詰められたときだ。相手によって、その距離は変わる。どうしても嫌いな犬に対しては相当な距離があっても唸り始める。匂いを検知しただけで様子が変になる。

キレてないよ。

そんなに怒らなくてもよいのに、と思うが、人間である自分のほうが、もっと細かく怒りを抱えているな、とも感じる。たとえば、石に躓いても、誰だよ、こんなところにこんなものを転がしたのは!とは犬は決してならない。