大阪に来ている。ユクはここにいない。
今日のお話には犬は出てこない。

明舞団地という名の団地で幼稚園生までを過ごした。めいまい、というのは、明石と舞子の間ということで名付けられたものだろう。こちらの近くにショッピングセンターがあった。幼い私には少し距離があるように思われたが、大人なら十分とかからない程度のところだ。ここでフィンガー・ファイブを見たおぼろげな記憶がある。昭和四十年代の話である。
幼稚園の帰りにこちらのショッピングセンターに寄ることがあった。もしかしたらそこに幼稚園の送迎バス乗り場があったのかも知れない。それもおぼろげでしかない。

はっきりと憶えていることもある。
ゲームコーナーのような所があり、そこにあった野球ゲームのことだ。大きな筐体に、野球のグラウンドが描かれている。投げるボタンと打つボタンが並んでいる。自分一人で投げて打つ役割りも担当する。打つと「ヒット」とか「アウト」と書かれた穴に吸い込まれていく。要するに野球盤を大きくしたようなゲーム機である。
私はこのゲームをプレイたくて仕方がなかった。だが、母親は厳しい。そう簡単にプレイさせてはもらえなかった。甘やかされて育ったほうだとは自負するが、ことこの野球ゲームに関しては厳しかった。

ある日。
この野球ゲームをしても良い、と母親の許可が出た。一回三十円なので、十円玉三枚をもらって、独りゲームコーナーへ向かった。胸を躍らせながら、十円玉を一枚ずつ挿れた。三枚入れ終えたがゲームが始まらない。返却口を見ても十円玉はない。確かに三枚、私は挿れたはずだ。しばらくゲーム機の前で立ち尽くしていたが、諦めざるを得なかった。私はその場を離れた。
離れた瞬間に、そばで待っていた少し歳上(この年齢の頃の歳の差は数字以上のものがある)の子供が十円玉を挿れ始めた。すると一枚目でプレイが始まった。私の二十円がそこに貯まっていたのだ。幸運だ、とばかりにその少年は楽しそうに遊び始めた。

それは私のものである、というような主張をしたところで、何も効力はない。そもそも私にそのような発言をする勇気などなかった。
かようなことがあったので、私はこの野球ゲームのことをよく憶えているのだ。
大阪に「エレメカ研究所」というところがある。古いゲーム機を沢山集めているゲームセンターだ。古いと言ってもインベーダーゲームなんかより前の世代の物たちである。コインゲームやパチンコなどが中心だ。ここになんとあの野球ゲーム機があることを知った。

「エレメカ研究所」は大阪の中崎町という辺りにある。梅田の外れと思っていたが、その外れが若者たちで賑わっていた。昭和な町並みにお洒落なカフェや雑貨店が挟まっている。

五十年ぶりに胸を躍らせながら、店内に入った。店の奥に、あの野球ゲームがあった。一回百円だ。さすがに三十円ではなかったが、私はもう百円に困るほどの子どもではない。迷うことなく百円玉を挿入した。問題なくプレイ開始となった。
あのとき始まることのなかったゲームをようやく遊ぶことができた。

