物を買うことが豊かさである、という時代に育った。
何かを集めるという趣味もその考え方に基づいている。

レコードやコンパクトディスクを買い集め、カラフルでポップだから、という理由でPEZの容器を集めたりもした。それらの物を今はまったく買わなくなった。消費の形態が変わったからだ。「サブスク」という実態の無いものにお金を払うことに抵抗があったのは最初だけだ。次第に所有していなくても何とも思わなくなった。生まれたときから「サブスク」の人たちはそもそも所有することの意味すら希薄なのだろう。

引っ越しの度に所有しているそれらの物を捨ててきた。だが、まだ手元に残っているものも多い。「サブスク」で手に入らない物などだ。要るのか要らないのか、と言えば要らないはずなのだが、豊かさが奪われるような気がして手放すことが出来ない。まだまだ脳みそが古いバージョンのままなのだ。理屈では分かる。使わないものを手放したほうが空間が広くなる。空間の分、豊かになるではないか。物理的にはそうだ。心の豊かさはどうなのだ?

古い雑誌を捨てようとしたときに、中を見てしまうのは良くない。知らぬ間に読みふけって、雑然とした部屋の真ん中で雑誌を熟読しているただの人と化してしまう。読み疲れて雑然とした部屋をそのままに夕飯でも食べてしまえば、しばらくは雑然とした部屋は維持される。
考えては捨てられない。

妻が、敷布団の下に敷くウレタンのマットを捨てようと、玄関のところまで持ってきた。こういう大物はぜひ捨てたい。切って小さくして、少しずつ燃えるゴミの袋に入れて出していく。つもりだったのに、状況が変わってきた。犬がこれを気に入ってしまったのである。

夕飯が終わり、おやつを食べたあと、ユクは必ずこのウレタンマットの上に行き、掘るような仕草をする。掘れるわけないのに、懸命に掘る仕草をしている。また、マットにマズルを押し付けて、口を大きく開けたりもする。何を目的としているのか、もはや分からない。

ふと、マットの方向に目をやると、ユクがヘソ天状態でこちらを見ていることもある。
それを見て、人間は大笑いしてしまうので、しめたものだとまた犬はそれをやる。
おもしろいから良いのだが、どうしたものか。
