今月も大阪に行った。
ずっと眠らせていたバンドの練習をした。遠距離でバンドを組むのは容易いことではないが、難し過ぎることでもない。大容量の通信回線があるいまの時代なら、その気になればなんとかなる。リテラシーがあっても銘銘にその「その気」がなければどうしようもない。

若さは様々な難点を隠してくれた。怖いものも少ない。だから、偉そうにも振る舞えるし、自分が一番である、という態度を取ることに考えは要らない。
若者は自信に溢れた人に群がるものだ。偉そうにしている根拠などはどうでも良く、とにかく自信満々にイエスだノーだと素早く言い切ってくれる人物に心酔する。それがカリスマというものだろう。

数十年前は私にもそのような態度を取る時期があった。しかし、人生を進むと共に、怖いものがとても増えた。自分が一番である、と思うこともそうそう訪れることなどない。
十代の頃から騒がしく生きてきたから、段々と言葉が少なくなるように、この人生はなっているのかもしれない。
五年ぶりくらいにスタジオで、ドラムやベースが鳴るなかで歌った。もっと歌えないだろうと思っていたが、案外歌えた。柔術の練習と犬の散歩のおかげだろう。

大阪の街を歩いていると、大阪・関西万博のキャラクターをぶら下げている人をよく見かけた。鎌倉では一人も見かけたことがない。やはり大阪では少しではあるが万博の盛り上がりを感じる。七十年の万博では全国から大阪へ、人々が押し寄せたと聞く。なぜ今回の万博ではそうならないのだろうか、とゆらゆら揺れるキャラクターを眺めながら考えた。

そうだ。名前が悪い。「大阪関西万博」では、何か関西の方でやっているらしいね、くらいの印象しか受けないし、規模も小さく感ぜられる。七十年の万博は、「日本万国博覧会」だった。いかにも大きな催しのようだ。行けば、あの巨大な「太陽の塔」が迎えてくれる。
「大屋根リング」が今回の万博では、その役割を担う予定だったのだろう。
一番になりたい、という欲は資本制度から発生している。一番にならなくても楽しい人生は送れる。考え方を変えるだけだ。
ただ、譲れないものもある。
ユクと妻の、一番長く一緒に暮らした人間になりたい。


