開催してまもなく、仕事関係の人や知人の中にわずかながら万博に行ってきた、という人たちが出始めた。感想を聞いてみると、皆一様に「思ったより悪くない」というような回答であった。東京オリンピック同様に事前の評判はすこぶる悪かった。だからきっと面白くなかった、という感想が出るのかと思いきや、である。

皆の評判はともかく、私はこの二〇二五年の万博に行ってみたかった。一九七〇年の万博は母のお腹の中にいて、行ったけど、行ってないようなことになっていたからだ。
一九八一年に、神戸でポートピア博覧会が開催された。これは地元だったので、何回も連れて行ってもらった。この世に生まれていたし十歳になっていたので、その時のことはよく覚えている。観たパビリオンのこと、食べたアイスクリームのこと、買ってもらったパンダのぬいぐるみや中国の刀の模造品、振るとひょいと伸びる筒状の玩具などなど。モンキーバナナという小さなバナナもよく食べた。
万博ではなかったけれど、それはそれは楽しかった。
私が関西万博に行った日は雨が降っていた。
雨男を自負しているので、日程を変えることなく、あえて雨の日に飛び込んだ。灼熱の万博よりも、雨で人も少なく涼しい万博のほうが良かろう。
地下鉄でのアクセスはあまり良い評判を聞かなかったので、バスで西ゲートのほうから入場した。確かに何も待つことなく入ることができた。雨天で人が少なかったからかもしれない。

観たかったパビリオンが予約制、いや抽選制なので、まったく観ることができなかった。この程度の入場者数でも当たらないと観られない。事前の抽選も当日の抽選も全滅だった。もう何も観られないのではないか、と入場してすぐに絶望した。

それでも並んで入ることができたのは、「ドイツ連邦共和国館」「アラブ首長国連邦館」「ベトナム社会主義共和国館」「中華人民共和国館」「ブラジル連邦共和国館」だ。なぜか共和国が多いが狙ったわけではない。入れそうなところに行ったまでだ。ドイツの音声ガイドが可愛かった。光るキャラクターを耳に当てて中を案内してもらうシステムになっていた。
ただし、キャラクターは可愛いが、話していることは持続可能性についてなど、難しいことが多かった。

大目的は、その場に来ること。もう一つは大屋根リングの上を歩くこと、だった。最低限のそれを果たすことができればよいか、と目標をぐっと下げた。あの「月の石」を観たかったが二時間も並ぶ気にはなれなかった。中華人民共和国館には、「月の砂」があった。それを観られた。まあこれで良いか。

会場をあとにする前に、大きな目的であった大屋根リングの上に立った。そうだ、一周しておこう、と思った。半分くらい歩いたとき、ああやめておけばよかった、となったが、もう半分まで来ているので、行くも戻るも同じ。ひと踏ん張りした。きっと人生もこんなものだ。

このようなところを歩いていると、やはりユクと歩いたらどうなるかな、ということを考える。リアルに想像してみる。草の生えているあたりをクン活して回るのだろうな。リングの上はもちろん終わりがない。円形だから、いつまでも散歩していられる。ただ、風景は時一刻と変わる。
あいつは元気にしているだろうか。

