私は一九七〇年生まれなので、万博の年生まれとして半世紀を生きてきた。特に自分より十歳以上うえの方には説明しやすかった。「ほう!万博の年生まれか」とのってきたら、最も入場者数の多い日に生まれました、と追加情報を入れることにしてきた。
大阪で二度目の万博が開催されている。すでに行った人の話しぶりは皆一様に「良かった」というものだ。具体的には言わないが、もう一度行きたい、と言っている。誰もくだらなかったとは言わないのが不思議だ。二度と行かねぇぞあんな所、と一人でも言ってくれさえすれば、まあ止めておこうか、と思えるのだけれど。
食べ物は高い、と聞く。
イタリア館で小さなジェラートが千円した、とも聞いた。ジェラートなんて、いまやどこでも食べられるのでわざわざ万博会場まで行って食べたいとは思わない。だから、なぜジェラートの話をしてくれたのか、そのことのほうが気になった。もっと珍しいものもあるだろう。
万博の年生まれの身としては、行っておかなければ、という義務感のほうが強い。それでもどうも腰が重たいのは、一人で行ってもつまらないだろうから、だ。
家族で行った人の中には、今度は一人で行きたい、と言っている人たちがいた。選択肢が沢山あるのに、自分で好きなように選んで回れないということに不自由を感じたそうだ。
一人で行ってもつまらない、ということでもないのか。まったく判断がつかない。
犬を連れていけないことも大きい。ユクと暮らし始めてから、犬連れOKという施設やイベントの基礎点が上がるようになった。万博も次回の開催時には、犬連れOKとしていただきたい。犬はダメだ、ということでは多様性や持続性を語ったところで、片手落ちでございます。