鰻を食べた。
鰻は私の好物だ。店がやたらと特上をおすすめしているので、特上というもの注文してみた。大きな鰻が贅沢にのせてある。箸を入れるとふかふかとした身がほぐれる。いかにも関東の鰻らしく柔らかな仕上がりだ。タレはさほど甘くなく、醤油が利いてキリリとした味だ。
美味しい。
しかし、特上と上の違いは分からない。二千円くらいの価格の差があったが、その程度の違いがあったろうか。
並、上、特上という、物に対する順位付けは、人間の欲や見栄を見透かした仕組みだ。吉野家の牛丼は並盛が旨い。よく考えられた、調和された分量なのだ。それを分かっていながら、いつも大盛や特盛を頼んでしまう。こういうことを止めたい。並で良いのだ。


ユクは毎回、ご飯のときには飛び上がって喜ぶ。飛び上がって喜ぶのはこのときだけである。数日ぶりの再会を果たしても、ああ帰ってきたのか、程度の反応しかない。ご飯は朝夕の二回あるのに、毎日毎回飛び上がって喜びを表現する。誰かに対して表現しているのではない。心の底から湧き上がってくる喜びがそうさせている、という感じだ。
ユクに、並、大盛、特盛、という感覚はなさそうだ。
上、特上という感覚もないだろう。
とにかく目の前にご飯が用意され、それを今から食べられるという事実のみである。
特上の鰻重を食べて、それが支払った金額に見合ったものなのかどうか、という考え方が人間のさもしいところだ。
もう少し、犬のように毎回を新鮮に喜びに満ちたものとするべきであろう。そんなことを考えているうちはまだまだ。