ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

ミクロな私たち。

四月も半ばだ。
年始から三月までは過ぎるのが早いと覚悟していたが、四月も早いではないか。
このような速度で日々が過ぎるのだから、人生などほんの一瞬だ。
言葉や概念で刹那を語り尽くすことはできない。体現するのは本当に刹那だ。

新聞で戦争による死者の記事を見るのは何十年も変わらない。
ベトナム戦争の記憶はないが、私の青春時代にはイランイラク戦争があった。日本はバブルだったし、総中流と言われたくらいなので、格差もあまり感じなかった。それでも新聞の国際欄には戦争のことが書いてあった。遠い異国のことでまったく関係のない感じがしていた。

飛行機には乗ったことがあるよ。

二〇二〇年代になったいまも、戦争が続いている。
戦争がないと、何か世界がうまく回らないのではないか、と感じてしまう。実際それは陰謀論でもなく、軍需産業は大国の経済を支えるものなのだろう。

おやつが出ないのはなぜだ!

ミクロとマクロという表現がある。
実際、どちらも放っておけない。全体のなかの一部であり、一部は全体を構成している。どちらの視点ででも物事を見なければならない。ならない、けれど、私は眼の前の犬の世話で忙しい。ミクロな私たちである。

チビだから通れる道もあるってものさ。

犬の顔にマダニが付いていて、大騒ぎをする。
すっかり、この地球上で起きている悲劇のことなど忘れている。
ほっぺたのマダニに集中する。
忘れていられるから、生きていかれるのだ。

マダニを恐れながら、新緑の山へ。
スギ花粉も終わってようだ。
ハチに気をつけながら行こうぜ、ユク坊。