ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

手放し運転。やっちゃえユク坊。

かつて、日産のテレビCMで運転しながら手をハンドルから離してしまうものがあった。
世の中では実現していないようですが、技術的には自動運転が可能ですよ、というメッセージと受け止めた。

問題はルールのほうで、自動運転の車が事故を起こした際に誰が責任を取るのか、というところの整理がついていないから、公道で自動運転を解禁できないのだと思われる。自動運転車が究極の選択を迫られたとき、どのように振る舞うのかも気になるところだ。左にハンドルを切れば小学生ひとりを轢いてしまう、右にハンドルを切ればおじいさん二人が歩いている、正面からはバスが迫っている。例えばそのような状況に立たされたとして、人数で判断するのか、年齢で判断するのか、自分の生命を犠牲にしてでも両者を救うのか。それはプログラムを設定した人の考え方に沿うものとなるはずだ。結局のところ、プログラムした人の信条や倫理観に大きく左右されるところがAIやAIを搭載された車やロボットの問題なのだ。

やっぱり生身の犬がいいでしょ?

ただし、人間が関与せず、AIが自分で学習をし始めるのなら、人間が邪魔になることは目に見えている。要らぬことばかりする人間を排除すれば、理屈の通った合理的な社会を形成できるだろう。人間は要らぬことばかりする。

ユクは五歳になって、人間の歩くペースに合わせることができるようになったと感じる。引っ張り癖がなおったわけではない。しかし、引っ張らず、人間と同じ速度で歩ける時間が格段に増えた。

成長って言葉知ってる?

リードは私の身体にたすき掛けできるタイプのものだ。ユクが崖から転落すれば、私も転落する。私が滝に落ちれば、ユクも落ちる。一心同体少女隊!というわけだ。
分かる人の少ない冗談はさておき、リードが身体に巻き付いているので、リードを持たず、手ぶらで歩くことができる。つまり、ノーリードでユクと歩いている感覚を得られるということ。そのためにはユクに、人間の歩く速度に合わせて歩いてもらう必要がある。
それができるようになってきた、という話だ。手放し運転。

やっちゃえユク坊。

ただし、人間の少し後ろや横にぴったりついて歩くようなことをユクはしない。人間の少し前を歩く。そのあたりがユクらしい。結局のところ私は、ユク様のお散歩に付き添う人間、という立場なのである。

少し前ゆくスタイル。