思い出などと言いながら、現役で食べているUFO。食べたことのない日本人は相当少ないと思われる。「バゴーン」という商品に流れたこともあった。捨てるはずのお湯でスープを作ることに子どもながら驚いた。モッタイナイの精神である。学生時代には「一平ちゃん」という商品も現れた。こちらはマヨネーズとからしをかけるという味付けが新しかった。
でも結局UFOに戻ってくるのだ。
カルビーあっての湖池屋みたいなものだ。湖池屋の濃い味を様々食べ尽くしても、カルビーのポテトチップスに戻ってくる。
牛丼で喩えれば吉野家だ。松屋やすき家にうつつを抜かしていても、いつの間にか吉野家に戻ってくる。やはり牛丼は吉野家なのだ。そのことは、かの村山聖九段も言っていた。
中学生の頃、特に中一から二年にかけての頃、喫茶店のようなゲームセンターに通っていた。ほとんど毎日、そこに行った。夏休みも欠かさず通った。「CABIN」という名のその店は大柄のお姉さんが店を切り盛りしていた。中学生の私たちにはタメ口である。当時の私たちにとっては、彼女はおばちゃんに見えた。実際おばちゃんと呼んでいたかもしれない。いま考えてみれば、彼女は二十代だったように思われる。いつも「誰か格好ええ男紹介してえなぁ」と私たちに言っていた。中学生の私たちにそのような能力があるわけも無く、おばちゃん、いや、お姉さんには申し訳ないことをした。
キャビンでは、コーヒーやジュース、軽食が食べられた。お金なんてそんなに持っていない私たちが注文できるのはカップ麺くらいのものだった。メニューに焼きそばUFOがあった。お姉さんが作ってくれるサービス付きだ。「UFOでけたで!」とカウンターの向こうからお姉さんの声が聞こえる。
出来上がったUFOは、ソースを混ぜ合わせるところまではしてくれていない。ソースもふりかけも、麺の中心にすべて注がれている。自分で作るときは麺全体に行き渡るように回しかける。お姉さんは中心にすべて注いでしまうのだ。文句も言わず、それを混ぜて食す。中心にすべてを注いであることが仕上がりに悪影響を及ぼすこともない。逆に回しがけしなくても良かったことを気付かされて感心する。
あれから四十年経ったいまでも、まだUFOを食べている。そして、真ん中にソースもふりかけもすべてを注いでから混ぜ合わせる。キャビンのお姉さん方式で。
ユク坊は元気です。