人生において、すべて順風満帆、という具合に歩んで来られた方はいないだろう。皆何かしら思ってもみなかったことに遭遇するものだ。タイミングや偶然というものに左右される。
子供の頃は世界が狭い。
いじめの悲しい報道などを聞くと、大人になった今なら、小さなことを思えたり、そんなことで深刻に悩んだりする必要などないのに、と思えたりする。少し世界が広くなっているからだ。子供はそうではない。もしくは、そのとき何歳であっても、当事者にとっては深刻な問題かもしれない。あとになって、あんなこともあったよな、と言えるのは無常のなせること。
かつて仕事で行き詰まったとき、それは人生においても行き詰まった、と感じるようなとき、書店で成功者たちの書いた書籍を沢山読んだ。それら多くにあたって、心は高揚する。しかし、同じように成功することはまったくと言ってよいほどになかった。「成功の法則」や「成功の方法」などないからだ。そんなものがあれば、本に書いて他人には教えないだろう。本に書いてある成功体験には大体において「偶然のめぐり合わせ」みたいなものが存在する。その再現性の薄いものがそこに存在する以上、成功する法則などない、と言えるのだ。
「方法」ならあるかも知れない。それは「やりなさい」ということだけだ。
犬がオテをすると褒められてオヤツをもらえる。
これは成功体験というものだ。他人の成功体験は気分を高揚させる以外にその効能はないが、自身の成功体験なら、法則として学習することも可能だ。成功体験を積み重ねることは良い、ということは、体験的に腑に落ちる。
隣で他の犬がオテをしてオヤツをもらっている。それをオスワリをして見ていたユクは学習しただろうか。たとえば、オテをすればオヤツをもらえる、と。ユクも他人の成功体験から何かを学ぶようなことはしていないように見える。ユクが見たのは、あいつはボクのおやつを奪いとった、という状況だ。自分もオテしよう、ではなくて、あいつを懲らしめよう、となってしまう。下等だと思うでしょうか。
成功する方法は「やりなさい」ということだけ、と書いた。
やってみる数を増やすことで成功確率が低くても成功する数は増える。野球の首位打者だって、三割ヒットを打てば褒められるくらいのものだ。十回やって一回成功するように沢山やるしかないのだ。
ユクはその点、感心させられる。
オテでしょうか?オカワリでしょうか?オスワリでしょうか?フセでしょうか?マワレでしょうか?知っている技をすべて試してみる。人間のほうはそのユクの懸命さに絆されてオヤツを与えてしまう。
犬の行動から学ぶことは多い。