ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

インターネットの良いところ。

インターネットの民間への普及黎明期から、インターネットに触れてきた。日本では、一九九〇年代の前半、九四年辺りからインターネットが知られはじめた。光回線などなく、電話回線にモデムを繋いで、ピーガラガラガラガラとやるものだった。インターネットに接続している間は「話中」となり、連絡がつかなくなる。一枚の画像表示が完了するまで、珈琲をドリップしてくる、というくらいの時間もかかった。それでも、この自分の座っている六畳ひと間が世界に繋がっているのだ、という感覚に胸が高鳴っていた。

クリックってこうか?

その頃、インターネット関連書籍はほとんどなかった。書店にも「インターネット」の書棚などなく、せいぜい「コンピュータ」というラベルが貼られている棚に分厚いインターネットに接続するための本が置かれていた程度であった。パソコンにも、インターネット接続機能は備わっておらず、機能拡張を別途フロッピーディスク(!)からインストールしなければならないような時代であった。

接続が難しいということは、インターネットを使用している人口も劇的に少なかった。一部の気の早い人間たちの楽しみ、という状態だったのだ。少人数参加のインターネットは平和そのものだった。バンドのウェブページを立ち上げれば、見知らぬ外国人から「見てるよ、頑張れよ!」というようなメールを受け取ることもあった。Yahoo!の公式サイトにもこちらからお願いしなくともインデックスされた。

あれがフロッピー。(違います)

現在のインターネット環境はどうだろうか。インフラという意味では夢のような世界だ。光回線Wi-Fiスマートフォンによるインターネット接続などが整備されている。しかし、ソフトやサービス面では、生活の質を必ずしも向上させているとは言えないのは、皆が感じているところだろう。理由は明らかで、インターネットに「広告」が表示されているからに他ならない。ステルスといって、広告かどうかすら分からない手法まである。この広告(つまりお金を使わせるための扇動)が原因でインターネットがつまらないものになってしまった。

使い方によっては、という条件は付くが、それでもまだ黎明期のようなインターネットの良さを感じることがある。犬を飼い始めてから利用しているSNSだ。
SNSで犬のことをアップしていたから、ユクと同じ宮古島出身の保護犬たちと巡り会えた。しかもオンラインで交流するだけではなくオフラインでも会うことができた。インターネットがなければ考えられなかった展開だ。そう、そもそもユクとの縁もインターネットからだ。

インターネットの暗黒面ばかりに目が行ってしまう。そのくらいで丁度良いくらいにインターネットの世界は広告に毒されている。しかし、インターネットの良いところも少なからずあるものだ。そこをいかに伸ばしていくことができるのか。

怖がりながらも利用して、人類の生み出す素晴らしい解決策に期待をしたい。

SNSで知り合った同郷の犬、トム君とオフ会しました。