誰かが手を振っているな、と思って近づいてみたら、見知らぬ人で、自分の後ろにいる人に対して手を振っていた、ということに近いことは誰しも経験したことがあるだろう。知らない人に笑い返したり、手を振り返したり、挨拶したり、ということは確かに恥ずかしいが、知っている人に無愛想にしてしまうよりは、ずっと良いことだと思う。前にも書いたが、犬の散歩中、私は積極的に挨拶をするようにしている。挨拶が返ってこなくとも先手が良いと考えている。勝ち負けは関係ないが、先に挨拶したほうが勝ちだろう。
最近の子供は挨拶に積極的ではない。それはそのほうが賢明だと思う。見知らぬおじさんと話をして連れて行かれてしまう、などのことを回避できるからだ。それにしても、子供との挨拶問題にはこれからも頭を痛めそうだ。これが「世知辛い世の中」というものか。
犬が褒められることがある。
すれ違いざまに「かわいいね」と言ってくださるだけでも、とてもうれしい。これに対して、なかなか感謝の意を伝えられない。そのことが嫌で、なるべく褒めてくださったら、「ありがとうございます!」と言いたい、と近頃考えるようになった。つまり、褒められたなら、反射的に「ありがとうございます!」と言えるように準備しながら、犬の散歩をする、ということになる。
まだ少し桜花の残る、鶴岡八幡宮さま方面へ、ユクを連れて散歩に出かけた。平日の夕刻であったので、人は少なかった。ユクがなぜか寄りたがる池に行く。私はほとりに立つ桜の木を愛でていた。犬はもちろん、足元で匂いを嗅ぐことに忙しい。
沢山の犬の匂いが残っているのだろう、ユクはとても真剣に、嗅いで回る。警察犬でも連れている気分になる。早足のユクに引かれるように早足で歩いていると、後ろで「かわいい〜!」と聞こえてきた。若い男女のカップルの女の人のほうが、発したようだった。ユクが足を止めて、木の根元をクンクンし始めた。後ろからそのカップルが近づいてくる。また、褒められたら、即座にお礼を言おうと、心づもりをした。
「かわいい!」女性がまた言った。クン活する犬から目を上げて、カップルのほうへ顔を上げたが、どうやら遠くを見ている。男性が言った、「リスってかわいいね」。あ、そっち……。
「ありがとうございます!」と発する直前で良かった。
挨拶は先手がよろしいが、感謝は先手だとやはりいびつだ。