物理的な本をあまり読まなくなった。読んでいるのは、電子書籍と呼ばれるものがほとんどだ。買うときも、電子版がないと購入することを少しためらうようにまでなってしまった。
紙の本に備わる良さは沢山ある。本全体において、いま自分がどのくらいの位置にいるか、即ち、どこまで読んだか、あとどれくらい残っているか、ということが手の感覚で認識できる体験がまず挙げられる。また、書籍の中のどの辺りのページのどの行に書いてあったか、というようなことも、あとから読み返す際に役立つことがある。つまり、何度も参照するような本などは、物理的なもののほうが良い場合がある。
一方、リニアに読み進める物語などは、電子版で何ら困ることはない。先ほど挙げた、どこまで読み進んだか、ということが感覚的に分からないことを諦めれば良いくらいだ。
本を裁断し、スキャナーを使って電子化すること(いわゆる自炊)も、ここ数年でよく行った。書棚に余裕ができ、部屋の中のスペースも増える。
この「自炊」を代行してくれるサービスもある(もはや外食だ)。書籍を送れば、裁断してスキャンして、電子化してくれるのだ。このサービスも何年も前から利用している。ネットで古本を買い、送付先をその業者にしておけば、一度も書籍を受け取ることなく、電子化された書籍のデータを受け取ることができる。電子版がない書籍の場合、このようにして電子化することもある。
「犬の行動学」
この本もそのようにして電子化した。電子版がない書籍だったからだ。
この本はしつけ本ではない。なるべく、犬の生態を知ることで、私たちの犬に対する考え方や行動を改めていこう、というような目的で書かれている。犬の性格には生まれてからの数ヶ月の経験が大切、とあった。やはりそうか。ユクはもう二歳半なので、そんなことを言われても、という感がある。それでも、ユクが保護されるまでの八ヶ月間ほどをどのような環境で過ごしていたか、を想像するのは楽しい。
生まれたときは何匹と一緒にいたのか。お母さんの乳にはありつけたのか。周りに人間もいたのか。決定的に人間が嫌いではないので、幼いときから人間が傍らにいたのではないかと想像している。
狼や犬の遺伝子が起こさせる行動についても書かれていた。動いているものを追いかけたり、小動物を捕まえて、背中の皮を咥えて振り回したり、といった狩猟本能的な行動についてだ。ユクもこのような衝動に駆られているのだろう、と見えるときがある。
「もってこい」や「ひっぱりっこ」をしているとき、私が投げたぬいぐるみを走って行って咥えると、そのまま振り回してとどめをさすような動作をする。つまり殺す真似をしているわけで、こちらは肝を冷やす。本気を出されたら殺られるぞ。
私の父は、あまり物を持たない人だ。しかし、よく本を読んでいる。私の母は、物を沢山持つ人だ。詩を詠む人だった。私は本を読むし、詩や歌も書く。物は溜め込むが、捨ててスッキリさせたい気持ちもある。つまり、両親の気持ちが分かる、いや両方の遺伝子が備わっているようだ。
結局ハードディスクには大量のデータが溜まっていくのだが、目に見える「物」を電子化していくことで、何とかジレンマに折り合いをつけているものと自己分析している。