ぐったりして、まったく遊ばなくなったときは大変心配した。このままだったらどうしよう。何か悪いことしてしまったか、何か悪い物を食わせてしまったか。などと、心配に心配を重ねていた。ちょっとお腹が痛くなったときに、俺はもう死ぬのではないか、と思うのは馬鹿だと思うが、まさにそのくらい気を揉んだ。
犬は話せないが、正直である。正直というのは人間の価値観を当てはめているだけであるので、正確にその様を表現しているとは言えない。素直、これも違う。ありのまま、これが近いだろうか。
犬が、ありのままに、やる気をなくしている。機嫌が悪いわけではなさそうだ。関わらないでくれ、そのような気分ではないのです、という雰囲気でケージで横になっている。ユクは普段はあまりケージに入らない。ケージは、ユクにとって最も安全な待避場所と位置づけられているようだ。水道やガスの点検に業者の人が家に入ってきたときは、ケージ入りを促すとすぐに入る。私たちが、ユクのシャンプーのため、お風呂でガサゴソやり始めると、ケージの隅で震えている。
いま、ユクは元気になった。
原因は不明だ。花粉はまだ飛び交っているし、花粉症だけが原因ではなさそうだ。「阿呆」にならないユクはユクらしくない。
お調子者(これも勝手な人間の価値観ではある)のユクを見るのが楽しい。たまに調子が悪いところを見せておいたほうが、優しくされるってものだ、というあざとさは微塵も感じられない。
調子に乗りなさい。