犬と人は、最低でも一万五千年は共に暮らしてきたそうだ。もしかしたら、もっと前からかもしれない。正確な年数は、何万何千という単位になっている時点で、この際あまり関係がない。とても長い年月を、人と犬は寄り添い合って過ごしてきた、ということは間違いのないことだ。
犬の祖先は進化を重ねた。人の言うことをよく聞き、人に可愛がられ、人に世話をしてもらえる動物になっていった。いまの私たちが思う「犬」だ。
犬と暮らすまでは、一万年も前の犬と人の暮らしなどに思いを巡らせることもなかったが、毎日多くの時間を犬と共に過ごすようになってから、そのことをよく考えるようになった。私たちの出会いはどのようなものであったか。
ユクと暮らし始めて一年と半年が経過した。まだ、その程度の付き合いではあるが、そのわずかな間でも、一歩一歩距離を縮めてきたように感じられる。最初は分からないことだらけで、犬人どちらも戸惑った。いまでは、意志が通じた、と感じられる瞬間も増えた。お互いにそうなのではないか、と思う。
一年と半年が経って、一番に思うことは、犬は大変賢いということだ。反面、単純でもある。単純ということは純粋ということでもあり、嘘をつかないということでもある。人は良くも悪くも嘘をつくので、その犬の単純さに美しさを感じるのだろう。そして犬は、欲望に忠実だ。ただし欲望に対して真っ直ぐに生きているだけでは人と暮らしては行けない。人が「それは駄目だよ」と言えば、それに従って、欲望を抑えることができないと一緒には暮らせない。犬はそれができる。そこの部分に犬の賢さを大いに感じるし、人と犬の関係の歴史を考える際のポイントとなるところだ、と思う。
犬は賢いがゆえ、人が本気で怒っていないと、これは遊びだ、と勘違いする。
本気で怒ろうとしても、犬の真面目さが可笑しいので、つい半笑いで怒ってしまう。
犬はそれを見抜いて、よけい調子に乗ってくる。
人を意のままに動かす能力こそ、犬の賢さの最たるものだ。おそらく一万年の昔から。