ここ数年で、SF小説を読むようになった。中学高校と仲良くしていた友人がSF小説をよく読んでいた。彼はとても賢く、要領も良かった。世界史の期末試験でのこと。一週間前から着々と勉強をしてきた私。試験前日に彼と一問一答を行うと、私のほうが勝った。ところが翌朝、試験当日になると、彼はすべてを記憶していた。一体どのような勉強をしてきたのか。SF小説を読んで時間の進み方を遅くする方法でも知っていたのではないか。
それは冗談だが、SF小説を大量に読んでいた、ということは彼の勉強や試験の成績に大いに関係していたことは、今なら理解できる。問題はすべて日本語で書かれているので、読解力こそ、すべての試験にとって重要な武器となるからだ。その友人は、東京大学へ進学した。そして、帰国子女でもないのに外務省で採用された。通学途中の地下鉄のなかで、「外交官になりたいんだよね」と言っていたことを思い出した。
私は国語の授業が嫌いで、大学生になるまで本など一冊も読み終えたことはなかった。特に教科書に載っていたような文学作品など読む気にもならなかった。文学小説だろうが、娯楽小説だろうが、読むこと自体が重要なので、もっと楽しく読める作品を教科書に載せれば良いのではないか。教科書嫌いだった人間の勝手な言い分である。何を言おうが結局は自らの動機が大切だ。今になって、SF小説を読み始めた。
SF小説を読んでいると、時間の進み方が違う星、という設定がよく用いられる。映画「インターステラー」でもそのような設定があった。これが何かというと、アインシュタインの特殊相対性理論に基づいているようだ。光の速さに近づくと時間の速度が遅くなったり、重量が強いところでもそのようになる、ということらしい。物理の勉強から逃げてきたが、重力ということをもっと知りたいと思い、「重力とはなにか?」という新書も読んでみた。(前半とても興奮したが中盤から挫折した)
時間なんて、どこでも誰にでも平等に流れているものだ。と疑いもなく信じてきたが、それは間違っていた。実験によって実証されていることからも、時間の進む速度が変わることは正しい。私たちは宇宙に住んでいて、宇宙の法則のなかで生きているのだということを痛感させられる。前回、子供と犬に時空の違いを感じることを書いた。
そのような感覚は、SF小説を読んだからこそ強くなったのかも知れない。
ユクは重力の小さいところで生きているのだ。人間より時間の進みが早い。犬の寿命が人間より短いという理解が、一緒に暮らし始めてからは、時間の進み方が違う、と感じられるようになった。
iPhone13が発表された。私はそれを買おうと思っている。
私のiPhone7はまだまだ使えそうだ。しかし、万一に備え、「AirTag」をユクに付けたい。性能の上がったカメラでユクの写真を撮りたい。一年後、iPhone14が出たときに買い換えれば良いのではないか、と思う心もあるが、ユクのいる時空では、時間がぐんぐん進んでいる。この一年もとても貴重なのだ。決して購入したいがための理屈ではない。