ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

ここにユクがいたら。犬依存重症患者の妄想。

私は自宅で仕事をしている。
コロナウイルスが流行する前は、打ち合わせに出かけたり、出張に行ったり、ということも多くあった。いまでは、そういう風習もオンライン会議などに切り替わり、実際にお会いしたことのない方との仕事も増えてきた。お会いして打ち合わせすることの重要性は、その情報量からも計り知れない。しかし、オンラインで会議を行うことのメリットも大きい。身だしなみを整え、訪問先の場所を確認し、たどり着くための交通機関を調べ、逆算をして家を出る時刻を決める。遅れることがあってはいけないので、早めに出る。結果、約束の一時間くらい前に着いてしまい、近くの喫茶店で待機することになる。そのようなことをしていては、数十分の打ち合わせのために、本当に半日を費やさなくてはならない。帰ってきたら、もうくたくたである。

f:id:oven9:20210723114348p:plain度々の緊急事態宣言で、街へ出かけることは少なくなったが、犬のおかげで近所には毎日出かけている。良い気晴らしになる。
緊急事態宣言が解かれた折、ちょっとショッピングモールでも行ってみようか、と出かけてみると、犬がいないことに違和感をおぼえる。あっちこっちに突然ダッシュする犬の様子に集中しながら、前後から車やバイクが来ないかと人間の五感センサーを働かせる必要がないので、楽である。楽ではあるのだが、何だか変なのだ。診断されるのであれば、きっと犬依存症ということになるのであろう。

f:id:oven9:20210727150623p:plainショッピングモールを歩いていて、もし、ここにユクがいたら、と想像する。ショッピングモールの中に犬が入れるわけがないのでありえないのだけど、並ぶお店の前の道をダッシュしているユクを想像してニンマリする。地下鉄に乗っても、このエスカレーターに一緒に乗ろうとしたら、きっとビビってしまうので、抱っこだろうね、と妻と話す。電車の席に座っていても、前の席でユクが丸くなって寝ていたら、どんなだろうか、と空想する。オリンピックの開会式の映像も、ここにユクが解き放たれたらパニックだろうな、と考えながら観ていた。重症だ。

f:id:oven9:20210727144457p:plainこの重症患者がもっとも恐れているのは、これが空間的な問題ではなく、時間的な問題になることである。つまり、ユクがいなくなったあと、ここにユクがいたらな、となってしまうことだ。飼い始めた当初から、ペットロスに怯えている。ガウガウガウとコントロールの効かなくなることもあり、この阿呆犬め!と腹の立つこともあるが、いてくれるだけでとっても幸せなのだ。ここの家の主人は病気です。

gowithyuk.com