犬は悪さをするもの、と思っていた。
ユクを迎えた日、本当に数分前まで、自宅の片付けをしていた。食べ物の入った袋をなるべく仕舞ったり、高いところへ避けたりした。電源コードをかじったら危ないのでは、と電源コードを纏めたりもした。庭の犬小屋につなぐのではなく、屋内で、一緒に暮らすということ自体、まだイメージもつかないままだった。猫とは同じ空間で暮らしていたことがあった。そのときの印象だろうか、大切なものはとにかく出しておいてはいけないような気がして、徹底的に片付けた。
ユクを届けてくださった預かりボランティアの方が、「犬は、ここに行っては駄目と教えれば理解して、見えない境界線を作って入らないようになりますよ」とおっしゃった。そうなのか、犬とはそういうものなのか、しかし、そこまでしつけるのはなかなか大変なのではないか、と考えていた。しかし、それは杞憂だった。最初に駄目だと教えたキッチンには本当に入らない。脚の悪いユクに階段は危ないので、2階に行ってはいけないよ、とも教えた。すると絶対に階段に足をかけない。犬は本当に言うことを聞く、というよりもルールを守る。群れでの生活で、この、ルールを守るということがとても重要だったことが伺い知れる。
与えたぬいぐるみは数分で破壊する。自分の物である、と認識すれば八つ裂きである。八つ裂きにして欲しくないのは、掛けたり敷いたりしている毛布やタオルなのだが、これはユクの物と言えばユクの物であるから、それでも引き裂いてはいけないよ、と教えるのは単純な話ではない。ユクの物だけど、引き裂いたら寒くなっちゃうよね、ということは理解してもらえないからだ。
リビングのどこにユクの食べているドッグフードが保管されているかを、ユクは知っている。その辺りをごそごそしていると様子を見に来ることからも明らかだ。何がどこに仕舞われているか、よく観察しているはずだ。ユクの牙を持ってすれば、容易に袋を開け、中身をむしゃむしゃ食べることもできる。また、その脚力があれば、テーブルに飛び乗って、出しっ放しのものを物色できるだろう。だが、そういうことを一切しないのだ。なるほど、これが人間と共に暮らしてきた犬という動物の生きる術なのか。人に合わせているわけではないだろうが、たまたまその習性が人と暮らすことに適していたのだろう。正確には、その習性を持った遺伝子のみが人と共に生き残ったのだろう。適者生存だ。
うちへ来た当初は、目を離せば悪さをすると考えていたので、ケージの中で寝かせたりお留守番してもらったりしていたが、そんなことは3日くらいで終わった。家にいるときはどこにも繋がなくて良いし、ケージに鍵をかける必要もない。犬がルールを守るからだ。
まもなくユクを迎えて一年になるが、本当に悪さをしないので、いまも毎日感心している。私も犬と暮らすことに適したヒトでありたい。