ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

英語で「犬を飼う」って何というのか。飼うって何だろう。

私が幼稚園児くらいだった頃、将来は何になりたいかと尋ねられれば、「英語の人になりたい」と即答していた。要するに英語がペラペラと話せる人、外国人とコミュニケーションを取れる人、ということを意味している。小学生くらいになると、天文学者、作曲家、牧師というものがそこへ加わってきた。50歳となり思い返す。10歳までに好きであったものは基本的に変わらないものだ。英語は好きだし、外国人との交流も好きだ。星を見たり、宇宙のことに思いを馳せるのも好きで、聖書のお話も好きだ。しかし、どれかを職業にしたか、と言えば職業にはなっていない。それでも好きなものは好きで変わりがない。人間誰しもそういうものなのだろうか。

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外国人との交流が好きな私は、積極的にその機会があれば、交流を果たす。新幹線で隣に外国人旅行客が座れば、話しかけて夜の食事を共にしたり、ライブハウスに海外からバンドがやって来ると知れば、その世話をしてやったり、と。なぜそのようなことをしたいのか、理屈だけでは説明できない。これは幼い頃の環境ということに尽きるだろう。思うに、母親がそのように仕向けたことが多大に影響しているのではないか。

 

数年前、茶の湯の稽古場に、アメリカ人の若者が見学に来ていたことがある。さっそく私は彼を誘い、渋谷で会った。中野ブロードウェイに行き、日本らしいごちゃごちゃしたおもちゃ売り場などを一緒に見て回った。ランチをしながら、英会話を楽しむ。旅行に行った時などもそうだが、こういう時に話したいことを話せないと感じることが勉強へのモチベーションともなる。

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先住カメのカメリ16歳

ペットの話題となった。もちろん、ユクがうちに来ていない頃の話だ。私にはもう一匹ペットがいる。カメだ。クサガメという種類のカメで、2020年で16歳になった。私はカメを飼っているということをアメリカ人の彼に伝えたかった。しかし、咄嗟に「飼う」という単語の英語が出てこなかった。「I.....take care...a turtle.. mmmm I have?... PET!」という感じで詰まった。意味は伝わった。が、飼うって英語でどのように言えば良いのか、日本の文化や言葉にも明るい彼に委ねた。彼も一瞬困っていた。対応する言葉がないようだった。「haveで大丈夫じゃないかな」というのが彼の見解だった。haveにはいささかの違和感があった。中学生の時、haveという単語は「持つ」である、と最初に習ったことが根底にあるのだろう。

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「飼う」という言葉が日本語にあるということは、日本人の暮らしに動物たちの存在が欠かせなかったことが想像される。ただ、いま私たちがペットとして一緒に暮らす際に使う「飼う」は本来の意味とは違っているだろう。「飼う」には若干の養ってやってる感が醸し出されている。昭和の時代はまだ外に繋がれて残飯をもらっていたような犬も多かっただろうが、令和となった現在では、「飼う」は「一緒に暮らす」に等しい。動物をも含めた多様性社会というものを目指したいものだ。