と、近所の犬の飼い主さんに言われた。
ユクは、左脚が良くない。どう良くないかというと、たとえば、大きい方をするときに脚を踏ん張れないので、なかなか定まらないことがある。バランスがうまく取れずに、おっとっと、おっとっと、という感じでステップを踏む。ただでさえ、踏ん張りの位置が定まらないのに周りで音がするとそちらに気を持っていかれて、出てくるものも出てこなくなる。ユクが催したときはいつも、頼むからそっと静かにしておいてやってくれ、と心のなかで小さな祈りを抱いている。ユクはオスだが、マーキングするときも用を足すときも脚を上げない。両脚を畳むスタイルだ。ちょっとクラウチングスタートのようになるときもある。この形に行き着いたのも、片脚で立つことが苦手であるからではないか、と思われる。
脚が少々痛くても、犬は人間に対して弱音を吐いたりしない。人間が犬の脚の痛みに気付いてやれるのは、びっこを引いていたり、ずっと舐めていたり、毛をむしったりしたときだ。ユクはたまにお尻のほうの毛をむしってしまうことがある。するとお尻の方が禿げた感じになってしまうので、近所の飼い主さんにも気づかれる。「ユクちゃん、お尻のほう、どうしたんだい?」と。
私は、ユクがもともと脚が悪くて、手術も検討はしているけど、いろいろな意見を聞きながら、今は何とか手術せずに運動で筋肉を強化する方向でがんばっていることを説明する。そして、しびれているのか何なのか、お尻の辺りをかじって、毛が短くなって、禿げた感じになってしまっていることも話す。
そこで冒頭のセリフだ。
「ユクちゃんは自分でコントロールしてるんだねぇ、えらいねぇ!」とユクに言ってくれたのだ。そのような考え方をしたことがなかった私は、大きく感心した。たしかに、ユクは自分でしびれているところを何とかしようとしていたのかもしれない。なるほど、そうか。
人間は原因を外に求めることが多い。また、誰かに何とかしてもらおうと考えることも多い。自分で自分の様子を観察して、何が起こっているのかを考えることが少なくなったのではないか。痛い、医者に診てもらおう、薬を処方してもらおう、すぐに他人まかせだ。そうできるように、助け合う社会を作った人間はすばらしい。しかし、犬を見て、自分で自分のことを何とかする、という姿勢をもう少し取り戻したい、と思った。それが野生というものか。